負の消費税で日本人を増やそう その2

〇巨人の肩に乗って神々の争いをみつめる

 

 このブログは自分で考えろという知の巨人(信者には神とも呼ばれる)の方々の著作やご意見を聞き日本の問題について主に日本人を増やす方法について(万能MMT教(フリーランチ教)から転向した「職業としての」「学問」や「政治」に取り組まない)一人の「日々の要求」に応えている万世ベーシックサービス教徒の布教ページです。民主主義(多数派が正しい)の日本で何故、マジョリティである下級国民(プロレタリアート)が階級闘争でマイノリティである上級国民(ブルジョワジー)に負けるのか。これは下級国民が信仰(持続可能なポピュリズム)に目覚めていないからです。万世ベーシックサービス教で信仰に目覚め階級闘争(資本主義社会)で勝ち抜くことを目指しましょう。何らかのご縁でこれを読まれた方が新しい信仰(or転向)や知識を得られたら幸いです。得られなくても暇つぶしになれば幸いです。貧しい下流国民は、幸いです。日本の国はあなたがたのものである。万世の下流国民よ、団結せよ。

 

神々の争い

 

〇はじめに公助ありき

 

政治とは何でしょうか。ここでは単純に社会生活を送るうえで自分ではどうしようもできないことを何とかする手段を決める仕組みとしましょう。

何とかする手段とは公助と言い換えることができます。もっと言えば自分では何とかできないことを行政がすることでしょう。社会生活を送るうえでの基本はまず自助で共助・互助が補完し日々を過ごしています。自助や共助ですべて出来たら政治の出る幕ではないでしょう。今の日本では自助・共助・互助に非常に重きを置かれどうしても無理なら公助に頼ることが基本にあります。

しかしまず社会生活を送るうえで公助あって自助ができるのが現代社会です。たとえば「自助」のため仕事に行く際、何気なく使っている一般道あれも公助で作られたものといえます。自分のお金で作った私道のみ使って通勤通学できるひとがいないように多かれ少なかれ人はみな公助を利用しています。

問題は人にとって必要な公助と特に必要のない公助があるのです。公共図書館を利用しない人にはこの時代に図書館なんてなくてもいい税金の無駄遣いだということになります。

しかしほとんどの人がお世話になることがない消防や警察が無駄だという人は殆どいません。(古代ローマだか消防団に当たる組織がありましたが私設で火事があったら駆けつけるが家主と料金を交渉し折り合いがつかないなら燃えるままにしていたそうです。)

なぜか、これは誰しも犯罪被害にあったり火災にあったりリスクがあることを皆が知っているからです。いわば保険のようなもので事故や犯罪被害は防ぎようがない面があり、そうならないため、あるいはそうなったときになんとかしてもらうためです。

個人ではなんともならないものがあるので公助が必要なのですが、問題は自助ができないと証明して共助・互助もできないと証明して最後に公助しかないと証明しないと公助にたどり着けないという今のシステムです。公助にたどり着くという自助すらできない人が大勢います。この人を自己責任、そこまで看てやれないと切り捨ててよいのでしょうか。

まず権利として公助があり必要がなければ自助・共助でやっていくこれがあるべき姿でしょう。年収1億の人でも生活保護を受ける権利はあるが必要ないので自助で普段の生活をするのです。

 法律も結局公助のルールです(腕力の強い相手に不条理に殴られたので自助でやくざを雇って仕返しをしてはならず公助で相手に「罪」を償ってもらうというのが法治社会です)

 公助の範囲・運用は結局お金の問題になります。政治は何を決めるかというとお金の配分を決めるのです。

予算とはお金の分捕り合戦の結果であり、いくらリベラルが世代間の対立をあおるなと言おうと世代間で金の取り合いが行われているのは紛れもない事実ではあります。

 そこで世代間の分捕り合戦は必然としてより各世代で公助が受けられるようにするには1どちらかの配分を減らしどちらかの配分を大きくする方法と、2予算というパイを大きくする方法です。

 これは前者では高齢者優遇の政治と言われている今の世の中ではどうしても高齢者に多くお金が使われてしまう、しかもなおそれでも高齢者に使われるお金が足りないのが日本の現状なのです。

そしてこれこそが前回お話しした国と地方が借金だらけでお金がないことによる問題なのです。定員(予算)以上の生活保護が受けられない

 パイを大きくするならば比率は変わらずとも使われる予算自体が大きくなるのでこちらを選択するのが皆幸せになります。そのためのお金をひねり出す方策として主にMMT理論と消費税増税や富裕税があります。まずMMT理論でこの日本の抱える問題は解決できるか検討していきます。

 

MMT理論(フリーランチ理論)とその限界

 

MMT理論では悪者扱いされている財務省ですが、彼らが財政健全化や増税を主張するのはある意味当然で仕事をしていると言えますし、それが伝統でもあります。

 

「いま日本では、これまで発行した赤字公債の合計が四〇兆円を超え、ケインズ政策に対する非難が高まっています。大蔵省やそれを取りまく親衛隊のような学者は、声を揃えて公績亡国ということを宣伝しております。」

経済学に何ができるのか p36 伊賀隆 昭和55年 

 

赤字公債を発行した時から日本は財政破綻すると言われていたでしょう。しかしなんだかんだで、借金を重ね続け(1990年代に一時国債を発行しなかったときもあるが)今に至って国と地方で1000兆円も借金してこられた、という実績があります。つまり財務省(かつては大蔵省)をガン無視してきたのです。日本はこれからも赤字国債に頼るという構造は変わらないでしょう。問題はどのくらい頼るかです。MMT理論で打ち出の小槌のごとく国債を発行しまくって日本の抱える景気回復格差解消などの問題解決にあてるというのも一つの手ではあります。政府ひいては日本国民はどのように日本の問題に対応しなければならないのでしょうか。

 政府が国民ひとりひとりすべての家計を「正確」に把握し個々に完璧かつ適切な支援を行うことは計画経済がそうであったように不可能でしょう。「一時的」に借金をする赤字財政自体は問題ないが借金で借金を返すという今の財政は当然利子を払わねばならずそれはツケとして国民が払っている。そのため使える予算が削られてしまう。そこでMMT理論は予算のパイ自体を大きくするのですが、ではどこまで国は借金をしていいのかの閾値を示せない。(アジア通貨危機のように日本の財政が外国のファンドにやられるほど脆弱ではないと思うが利子の支払いがもったいない。その分、他のことに使えばもっといいのにと思うわけなのです。)

 「いや閾値なんてありません、無限です」というのも一つの解ではあると思います。

ある意味、お金配りというのは今既に政府のやっておりMMT理論の実践をやっているともとれるのですがMMT理論者はまだ足りないそれを妨害しているのが財務省だということでしょう。相変わらず景気は良くなく格差問題も解決できていません。

MMT理論に似たことは今まで戦後の世界だけ見てもやっているし最近この理論が出てきたのはもっと財政出動させる理論的根拠として出てきた節があります。例えばかつてアメリカは1980年代から1990年代において双子の赤字というものがありました。その時はアメリカがデフォルトする、ドルが大暴落するということがさんざん言われました。しかしFRBグリーンスパンという魔術師が錬金術のごとくドルを刷って、日本とかがありがたく貯めこみ、IT産業の発展もあり、デフォルトもドル大暴落(して絶好調だった日本経済によって円が世界の基軸通貨にとってかわるという誇大妄想(古本屋の10円コーナーに行けばそのような当時の本がまだあるかもしれません))も起こりませんでした。ついでにいうとアメリカはバブルになっても構わないみたいな体質がありバブルが崩壊しても強いところだけが残るべきで実態に合わない水膨れした企業から引き抜かれたお金は次の新しいビジネスに流れ込めばいい。その際、弱者(企業や労働者も含め)はどうなっても構わないみたいな冷酷な資本主義のサイクルを描いているように見えます。

さて日本では正しいか正しくないかは置いておいてMMT論を用いてどんなことができるでしょう。

少なくとも資本主義社会の持たざる者、マネーゲームに参加できないものにとってMMT理論だけを用いて景気をよくしても金持ちが大金持ちになり企業に内部留保がたまりまくり株価が上がっても給料が上がらないのではどうしようもありません

景気が良くなるイコール下流貧困層の人が減り中流の人が増えるというわけではないのは問題です。MMT理論はマクロな経済について考えミクロな貧しい人の所得の底上げはあまり考慮していないといえます。

 

〇地方政府はお金を作れない

 

金融政策は基本的に景気対策でつまり格差解消、低所得者の所得向上は直接の目的としていません。景気回復して下流国民におこぼれが貰えるかもしれないが基本、お金はより大きな資本に引き付けられる性質があります。下流国民は景気回復のおこぼれを期待しないほうがいいでしょう。

金融政策の一種であるMMT理論が貧困対策につまり人口増加に少なくともダイレクトに効かない理由は地方政府にはお金を刷ることができないからです。地方債は国債に紐づいていません。

地方自治体が身近な生活の暮らしにかかわっています。生活保護などの貧困対策や教育・医療・介護などにかかる費用が地方自治体の財布から出ているのに困ったことに地方自治体はお金のやりくりに困っているところがほとんどです。

地方財政でお金がないのに地方政府は中央政府と違いお金を刷ることができない。さすがにMMT論者も地方自治体がお金を刷ればいいとまではいわないのだが、では地方の借金はどうするかという問題があります。地方公共団体が地方版MMT理論をやって地方債をどんどん奮発し返済も地方債で返す。いろいろと厳しい法律を全部とっぱらう。あるいは国がMMT理論でひねり出したお金を地方の借金返済に使う。つまり紐をつけた地方交付税交付金自治体の借金を返済する。これも一つの手です、ありといえばありと思うのですがこんな徳政令みたいなことをやって世の中がどうなるのか。地方自治体のケツも国が無制限で持つよとなると放漫財政になるというのが人間の性だと思います。

今のところ破綻しない日本財政だがどこまで国債を発行できるのかあるいはいつまでどのくらい国内でさばけるのか、わからない怖さがあります。そしてMMT理論が出てくる前からMMT理論的なことをやっているのになにも格差も景気回復もできないという日本のどうしようもない現状があります。

 

〇神々の争い みんなちがってみんないい、では済まない?

 

「井出氏は新自由主義というイデオロギーには批判的であり、北欧の福祉国家を高く評価するリベラル派の学者です。しかし、彼の財政論は、結局のところ、財政赤字を悪とする新自由主義の財政論と、本質的には同じようであるように私には思えます。いずれにしても、間違いだらけの理由に基づいて、いたずらに「消費税を上げるべきだ」と叫ぶのは、やめてもらいたいものです」

中野剛志 目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】p220

 

「学者として、評論家としてMMTを論じるのはけっこうです。ですが、うまくいくかもしれないけれども、大変なことになるかもしれない。そのようなリスキーな政策に国民の命を懸ける。そんなギャンブルのような政治は、いくら耳ざわりがよくても、ひとりの国民として支持することができません。」

井手英策 どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ~ベーシックサービスという革命~ p117

 

下級国民の一人として社会問題に関心を持つようになってまず読んだのが中野剛志氏の「目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室」という本でした。この本はまさに目から鱗が落ちるほどの本でした。その時、今の日本の経済の問題(低い経済成長、不景気、鈍い景気回復)は「市場」のお金不足が原因でそれを解決するのはMMT理論だという思いに至り万能MMT教徒になりました。MMT理論の本をいくつか読んでいるうちに、MMT理論ではマクロな(「日本」の景気回復のような)問題は解決できるがミクロな(格差社会どん底の底上げのような)問題の解決策を示されていない気がしたところで井手英策氏の調書に触れました

井手英策氏の著書でベーシックサービスという概念を知り、これこそが自分の属するマクロな日本の景気が良くなりその恩恵が届くのを待っていられない「(資本を持たざる)中の下以下」の人々にこそ必要なものだと思いました。井手英策氏の著書をいくつか読んでいるうちに「そういえば「神」中野剛志氏の本に井手英策氏の名前があったよな」と思い読み返してみると1章丸ごと使って消費税増税論者として私にとって新たな「神」となった井手英策氏が批判されていて心底驚きました。いったい自分はきちんと読んでいたのかと不安になりました。

調べてみると(というほどではないが)ネットのレビューでも井出氏の著書にはMMT理論を正しいと思うらしき人が悪しき増税論者として批判され消費税を元手としたベーシックサービスの拡充は厳しいなと思わされました。

 経済や財政に関し超一流の学者たちで言っていることが違う。これはいわゆるウェバーの言う「神々の争い」状態でしょう。自分の神様(理論・学者etc)を信じないやつらは悪魔だと。MMT論者に言わせると消費税増税は景気を後退させるだけ、結局税収も落ち込む。増税論者からするとMMT論者は日銀をゴミ箱かなにかのように国の借金を放り込めばいいと思っている。日銀にある国債も政府が100兆円札1枚刷って渡せばチャラになるなんて暴論だとなるでしょう。

どの政策がただしいのか。個人的にはどの政策であれ運用の仕方が問題だというのがもっとも「正解」に近いと思います。

答えのない世界、正解よりも考えることが大事と言いますが哲学ならともかく現実の政治ではともかく「選択」を行わなければなりません。あえてここでの正解を低所得者の所得の底上げとするならば、以下のような選択を行うことによってできるのではないでしょうか。

消費税をはじめとして増税を行い公助(ベーシックサービスの拡充)の元手を作り低所得者には負担分を補填するという負の消費税を導入(実質MMT論的なお金配りですね)する。ベーシックサービスが拡充されれば将来への不安が軽減されお金を塩漬けにしたままため込む人が減り内需拡大につながる、このような社会が望ましいのではないでしょうか。

 

〇神々の共存

 

共産主義が国や党が資本や土地を独占し経済活動をコントロールするもので社会主義が社会生活に必要なもの(仕事と給料や食料・福祉・教育)をすべて国が独占的に(個人の嗜好を無視して)提供するものだとここでは仮定しましょう。

 まったく異なるように見えるMMT理論もベーシックサービスも極論すればそれは同じ社会主義の変種といえるでしょう。MMT理論は極論するとお金は数が限られているから価値があるはずなのにその制限を取っ払っても構わないという考えなのですから。

 例えばMMT理論は理論上いくらでも国債を発行できるといいますがそれを文字通りやるとどうなるのでしょう。

 

税金?国債を刷るので必要ありません。医療費?国債を刷るので必要ありません。介護費用?国債を刷るので必要ありません。労働?30万円のベーシックインカムを、国債を発行してやるので働きたくなければ働く必要ありません。

 

これはもはや(ダメな)社会主義といっていいでしょう。対してベーシックサービスも範囲を広げすぎればダメな社会主義国家となります。

 

アロマサロンに通うのは健康で文化的な生活を送るのに不可欠なベーシックサービスだ、無料にします。風俗店も社会生活を送るうえで欠かせないベーシックサービスだ、無料にします。スマホゲームの課金もお気に入りが出るまでのガチャはベーシックサービスだ、無料にしましょう。

 

なんでも無料で社会がうまく回ればいいのですがそんなことができるのはアラブの産油国ぐらいで、勤労で国が回っている日本でなんでも無料というのは難しいでしょう。

「神々の共存」は異なる理論をうまく組み合わせて運用することで可能であり、より(老後の面倒を見てくれる)日本人を増やすよりよい「土壌」となるのであります。

 MMT理論では解決できない社会の底上げを増税と再配分(ただしメインは現金バラマキではなくサービスという形)をおこなうというのがベーシックサービスの構造であるべきです。

消費税増税ですべて賄えるとは思えないのでMMT理論で不足分を補い必要ならば現金給付を行う。これが現実的な妥協策、神と神の「見えざる手」が握りあう策です。

消費税は批判者からすれば貧乏人から等しくカネをむしり取り消費を落ち込ませ不況の一因となっているとされます。そして消費税増税の旗振り役の財務省MMT理論論者をはじめ積極財政を唱える人たちから嫌われております。

しかしMMT理論では景気回復が主な目的で格差社会の歪みを正せないのではないでしょうか。景気回復や良い物価上昇から取り残されてしまう人々の生活の質の向上は増税とベーシックサービスで行うしかないのです。

 

〇立てよ!下級国民よ!

 

MMT理論は際限なく国債日本銀行券をばらまくとなにがどうなるのかわからない面があります。円安がすすみインフレが進むのはいいことなのか。景気は良くなったとしても大企業の業績が良くなり株価が上がるだけでは下級国民には「おこぼれ」が来ないのではないか。給料が上がるから国民すべてがマネーゲーム(資産運用の名の投資)に参加する世の中になるのか。

そういう水膨れ経済になるかもしれないリスクより格差是正で消費税の増税と低所欲者への給付(負の所得税でも負の消費税でも最適なものを)を行うほうが堅実に思えるのです。     

成長率や給料水準が上がらなくても国や地方財政の赤字を解消して公的部門からのベーシックサービスが充実すればよいのではないか。ベーシックサービスは(国民の同意を得た水準での)機会の平等を保障することができます。またベーシックインカムも一部取り入れ(何らかの理由で生活保護までたどり着けない)所得0の人を無くせばいいのではないか。

重い病気と同じように一つの処方箋の一つの薬にこだわらずMMT理論や消費税増税(+負の消費税)をうまく組み合わせれば下級国民にも未来の展望が開け(下級国民の老後の面倒を見てくれる)日本人が増えていくと思うのです

ですがまだまだMMT理論やベーシックサービスという考えが下級国民に浸透してはいません。

 下級国民は「日々の要求」に従って毎日を過ごしていますが、選挙においては「神」を選ぶことができるのです。民主主義の日本でマジョリティである下級国民が階級闘争でマイノリティである上級国民にいいように搾取されないためには選挙においてMMT理論やベーシックサービスを候補者や政党の選択の指針とするようになれば下級国民の生活の質向上になるはずです。わたしはベーシックサービスの信奉者としてベーシックサービスのすばらしさをこれからもこのブログで布教していこうと思います。